「かみの生立ち」

日本人にとって、神さまとは、どんな、始まりがあるのだろうか。
それには神の生い立ち、を、知らねば、ならないでしょう。

日本では神社があり、ますが、皆さんは神社といえば神々の始まりと、思っているでしょう。
ですが、「記紀」(古事記、日本書記)が出来たのは、天智天皇の御代、で天武、持統天皇の時期に、仕上げられたとあります。実はこれが神々の、始まりでは、ありません。
『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を併せて「記紀」という。和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。

かみの生立ち、とは、
児島宮によって、類は類を呼ぶ、相似によって、神の生い立ちが、浮かび上がって、きたのです。ここに神々は、神社の中に、治まられて、いたのでは、ありません、お祀りされて居たというのが、日本の神社の始まり(生い立ち)になっています。ここに神々が正しく、お祀りされていないと、神社とは言わないでしょう。
類を呼ぶ、相似によって、神の生い立ちが、紐解き開かれ、ています。天神、天孫神降臨とは紐解き開かれたという。

ここで、日本の神社は、開かれたのです、が、今では、神社が全国各地に、あるのは? どんな意味があったのだろうか? と、ここからは、神社編

神道の始まり、日本人は、「礼」おじき、が身についていますね。頭を下げる? 世界でも、日本のおじき、は、類が見えていない不思議な日本国。礼とは上下見分け。見分けないと礼がない。
神は上で下は地球を、見分けて、そこから神は、始っているという事です。数字も一が最高位で、増える数字ごとに、位が付いています。一は二よりも上と、見分ける。

今の神は、日本の神社は、礼とは上下見分ける。見分けないと礼がない。民主主義は、宗教憲法の如し。 

日本では正しく神々の祀りが、行われては、いなかった事が判りました。アジアでも、神祀りがおこなわれて、いません、それは始皇帝が、語っていたという。上に立つ者が違うからです。
すべての頂点に神々は、置かれて、いた。

神とは天空の神也、
天空とは天神なり、その七代目越王無予が、神の生い立ちの、まつりを欠かすなと、こうして、神祀りは、三種を用いて、行われた。

児島宮資料室総合

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