高桐院神の始まりはじまり夜須 2111年前

「神と夜須の関係」

今から二千百十一年前は、神も夜須も、まだありませんでした。2111年前に、中国浙江省武夷から、漢の武帝により、侵略され、これを嫌い、住民100000人と伴に、海上に浮かぶ東夷の島、を、九州となづけ、筑紫と定め、宮殿を造り、この地を、先祖の会稽の都に見分けて、習い、安邑と名付けました。
宮殿は宇宙の北に見分け、紫宮にあたる。

これまでウガヤの城について、いろいろと取り沙汰されて、いるが、見分けのつかないところばかりで、見分けが一致しては、いません?見分けができないという事は、証拠とはなりません。ほんとうかどうか確かめるのは、見分けが完全に一致していなければ、それは間違いなのです。
京都にも、見分けが、今も残っているところが、京都柴野にある、やすらいまつり、に、福岡の夜須から、のまつりが、一致しています。これは桓武天皇が遷座されて、始まったという事がこれで解ります。なぜ、やすらいと言うのか?それは、福岡の夜須からと出ているのです。やすから、らい、来たという事です。言葉に残っているのです、すごいですね、ことばで解る。


福岡県内の夜須松延にある、天満宮にも、桓武天皇を讃える、石が、見分け出来るのです、これを遷座させたのが今の、天満(宇宙に例え)児島宮に、つながります。歴代の大王に関するのが見分けで、見る事ができます。児島宮の見分けは後鳥羽上皇、児島高徳、児島盛綱の絵馬で、見分けられのす。宮内庁というのは、明治になり、出来たもので、天皇と言えば?宮内庁と、国民は、思っているのは、見分けは、出ていないのです。見分け出来ていないとなれば?宮内庁は、天皇とは関係が無いという事になる。ここに天皇御陵や正倉院が、宮内庁管理によって、すべて見分けが、無くなって、いるのです。これは事実なのです。見分けができないから壊すのです。 憲法も見分けが、できないから、何度も改正しているのです。宮内庁管理は、すべてが偽物なのです。
ここにも国会なるものは、はじめから、偽物だった。それは見分けができないという事に出ているのです。

ここからは見分けについて、どのような作用が出来るのか?見分けについて

嘘を見分ける?児島宮の寺が、京都柴野大徳寺の中に、南北朝時代に、児島高徳によって、造られたのが、高東院という、名によって、寛永系譜帳や寛政系譜帳記載の、人名で、見分け出来る。これらは高東院の名によって、真相を見分けられます、誰が嘘を吐いているのか、見分けで、出ているのです?明治以前迄は、高桐院は細川家の寺とは、記載されてはいないのです。
高桐院の立札には、細川家の寺として、江戸に建てられたとありますが、違うのです、京都市役所が、解説しているとあり、大王家の高東院とは、していないのです。京都市役所の大嘘は、国会まで、広く関与していて、国民まで、大嘘が及んでいるという事。見分けで出ている。

 

 

 

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